[ぶつくさおばちゃんの独り言] 第37回(2011年10月掲載)

東日本大震災 被災地三陸を行く②

家族を守った気仙大工のブロック住宅

被災地画像01視察2日目、宿舎をあとにした私たちは、大船渡市の赤崎地区にある三浦邸に向かった。三浦邸は今回の同行者、画家の三浦千波さんの実家で、3月11日の大津波に襲われたにもかかわらず、倒壊や流出を免れた希少な住宅の一つである。
途中、太平洋セメント大船渡工場の巨大なプラントが突如として姿を現わした。耳を澄ますと工場が稼働する音が聞こえる。塩害でセメントの生産は止まったままだが、何とか使えるようになった製造ラインで、瓦礫の焼却作業を行っているのだという。
「このまま街から撤退してしまうのではないか」と、街の人たちは心配をしたようだが、会社はこの地での復旧の道を選んだ。そんな話を耳にしながら、工場の音が、瓦礫から立ち上がろうとする街の鼓動のように聞こえた。

三浦邸は、三陸鉄道南リアス線のすぐ脇にあった。周りの家々は見渡す限りすべて流され、ブロック造りの二階建てだけがぽつんと残っている。近くの雑木林を見ると、一部、杉の木がてっぺんまで赤枯れし、津波の高さが推測される。
三陸鉄道の線路は6〜7メートルの高台にあり、防波堤を兼ねた擁壁のようだ。津波はこの擁壁を超えることはなかったが、通行用のトンネルから流れ込み、住宅地を飲み込んで壊滅させたという。

被災地画像02津波発生当時、三浦さんの80歳になるお母さんが一人で暮らしていたが、あっという間に波に2階まで押し上げられ、必死に長押に掴まり、天井からわずか数センチの隙間の空気を吸いながら九死に一生を得ることができたという。
「津波に呑み込まれたら、絶対に目を開けたり口を空けたらダメ。泥や砂混じりの水にやられてしまうから」。かく言う三浦さん自身も、子供の頃にチリ地震津波に遭い、叔父さんに背負われて逃げたという。体験したものだけが知る真に迫った話に、思わず心がキュっとなる。それにしても、三浦さんのお母さんはこれで、一生のうちに2度までも大津波の被害にあったことになる。百年に一度、千年に一度の話どころではない。島国日本は、天災と常に隣り合わせにいるのだということを思い知らされる。

今はもう亡くなられたが、気仙大工だった三浦さんのお父さん(大正12年生まれ)は、子供の頃に昭和三陸地震津波を、昭和35年にはチリ地震津波に遭っている。その体験から、コンクリートブロック造による住宅建設を提唱し、会社を立ち上げ、津波対策に工夫を凝らした住宅建設に尽力した。そしてそのことが、浸水はしたものの、堅牢な建物に守られ、家族の命を守ることになった。千波さんは今、この建物を赤崎地区津波祈念館として後世に伝えたいと考えている。

復興の街づくりに日本人の英知が試されている

被災地画像03大船渡を後にした私たちは、陸前高田、気仙沼、松島へと向かった。
南下するにつれて瓦礫の撤去は進み、建物が消えた市街地は、驚くほど広大な平地と化していた。分別された瓦礫がうず高く積まれ、見上げるほどの小山があちらこちらに築かれている。
そういえば、昔、気仙沼にはフカヒレラーメンを食べに来たことがあったっけ。松島も社員旅行でお世話になったなぁ―― と記憶の糸をたぐろうとするのだが、当時の街の姿を探し出すことは出来なかった。その一方で、悲しいかな、海岸線の美しさだけが際だっていた。

被災地画像04「もうこれ以上、ここには居たくないよ。以前の三陸を知っているから、つらくてさ」
突然、バスの運転手さんがつぶやいた。毎年、大勢の観光客を乗せて三陸を訪れ、街の隅々まで知り尽くしていただけに、変わり果てた姿に言い尽くせないものがあるのだという。
それでも松島では、駅から車で5〜6分の所にある、運転手さんおすすめの食堂に案内をしてくれた。隣では、焼き牡蠣を食べさせてくれる店もしっかりと営業をしていた。この辺りは被災を免れたようだ。

三陸最後の昼食では、新鮮なお刺身てんこ盛りのどんぶりをほおばった。閑散とした店内はやはり寂しいものがある。それでも従業員の皆さんは、これに負けじと元気な声で客を呼び込んでいた。ちょっといい訳がましいが、物見遊山と思われてもいいじゃないか。ボランティアが出来る人はボランティアをし、ちょっと小金のある人は、現地でおいしい魚を食べ、土産を買い、お金を使う。客足が戻らなければ、街に活気も戻らない。

今回の被災地を巡るほどに、すべてが流され、真っ更になった広大な平地に、この先どんな新しい街が作られていくのだろうと思わずにはいられない。学者や為政者、被災地の人々だけでなく、私たち日本人の英知が試されているのではないか…。帰途の道すがら、ふと、そんなことを考えた。

ぶつくさおばちゃんプロフィール

エッセイスト。雑誌・新聞社、住宅メーカーなどの編集業務に携わり、現在、エッセイストとして活躍。

 

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