7月に起きた新潟県中越沖地震、柏崎市を中心に多くの死者を出すとともに住宅も1000棟を超える被害を出した。柏崎刈羽原発も事故がおきた。朝日新聞によると発生から一週間が過ぎた7月22日でもガスが止まり、断水し、約2600人が避難所生活を余儀なくされていると報告する。
体育館などの避難所で活躍したのがダンボール製の間仕切りである。他人と長期に共同生活をならないことから、少しでもプライバシーを守るというか和らげるというか、そうした目的でダンボールで目隠しをする。風避けという効果もあって「地震」「避難生活」「ダンボール間仕切り」が一体となった。2004年の新潟中越地震のときにも使われたが、そもそもは阪神大震災のときに登場したのが始まりのようだ。
人と人との距離が短くなると、人は仕切りを設けたくなる動物のようだ。
私が新聞社に勤めていたときの話をすると、その新聞社にはスチール製の机が3つ並び、差し向えに同じく3つあり、それぞれ自分の机で原稿を書いていた。狭いオフィスだったからそんな置き方しかできなかった。隣に座るMは本を私との境に積み上げていった。本が仕切りだった。
私の目の前は編集長がいた。原稿を書くとき、他人の顔を見ながらというのは集中できないもので、それが編集長ともなるとなおさらで、ペンが進まない。そこで私はダンボールで壁をつくった。するとMも本ではなくダンボールで城壁とした。
「馬鹿もん」
という怒鳴り声がしたのは数週間たってのことだが、それまで編集長は仕切りを設けたことに我慢していたようだ。仕切りがなくなり、私はたびたび外へ出る。喫茶店に行き、原稿を書いた。喫茶店は他人を気にしないで過ごせる解放区域だった。
「馬鹿もん」
という怒鳴り声がしたのは数週間たってのことだが、それまで編集長は仕切りを設けたことに我慢していたようだ。仕切りがなくなり、私はたびたび外へ出る。喫茶店に行き、原稿を書いた。喫茶店は他人を気にしないで過ごせる解放区域だった。
都会のサラリーマンは毎日、密度の濃い満員電車者に揺られて通勤するが、ここでも仕切りの行為は行われており、新聞、週刊誌、本で他人と仕切ったりしている。本も広げられない状態になるとどうするかというと、武蔵野美術大学教授の柏木博氏はこう述べている。
『たとえば、目をつぶることで、視覚的に現状を消し去ろうする。わずかに車窓から外の風景が見えれば、それを眺める。考え事をする。』(「しきり」の文化論、講談社現代新書)
目をつぶるというのは、まぶたが仕切りの代わりとなるということ。また風景を眺めるというのは思考そのものを仕切りとしているのだ。
まぶたを仕切りにすることなどは、極限状態の仕切り論、悲しくもあり、惨めなことである。柏木氏は同書の中でウォークマンも携帯電話もまた同じ役割という。
指定席というのは他人との仕切りで、『他人との固体間距離が広がることが、快適さにつながる。これが、列車の個室であるなら、他人と空間を共にすることがなく、完全に距離を保てる。』と語り、人との距離と快適さの関係を指摘しているのは興味深い。
仕切りが人を快適にする。新潟県中越沖地震で避難所生活をおくる人もダンボールの簡単な仕切りであっても、仕切ることで眠ることができるのだろう。

[おかだ・けんじ] 住宅ジャーナリスト・NPO法人埼玉住まいの情報ネットワーク代表。
辛口『野次馬住宅時評』を発行。著書に『住宅のお値段・原価の秘密』『住宅業者の良し悪しがピタリわかる本』『住まいたちの半世紀』など。近著『昭和の住まい学』。
野次馬住宅net http://www.tcat.ne.jp/~yajiuma