まず千駄木の道に面して門があって、門を入ってじきに玄関、玄関の間が二畳か三畳敷き。玄関は東に面しております。玄関の間を出ると南をうけた縁側があって、取っ突きが長細い六畳ぐらいの広さの部屋。そこは物置き同然に本をつめておきました。お隣が八畳の座敷。ここで夏目が朝よく猫を背中にのせたまま寝そべって新聞をよんでいました。次が六畳で私の居間。ここに私たちは寝みます。この三つの部屋が南向きで、その背中合わせに、私の居間の後ろが六畳、その隣が三畳の女中部屋で、それに隣り合って台所と湯殿があります。夏目の書斎は玄関わきの六畳で、間は襖になっているのですけれども、そこへ大きな本棚をおいて、わざわざいったん廊下にでて、そこから三尺の戸を開いて入るようになっております」(夏目鏡子述・松岡譲筆録「漱石の思い出」、文春文庫)「吾輩は猫である」で知られる夏目漱石が明治36年
(1903)3月から39年(1906)12月まで住んでいた本郷千駄木の家です。7Kスタイルの間取りですが、明治の頃の中流生活とみていいでしょう。ここで注目したいのは、女中部屋。「吾輩は猫である」ではおさんという名で登場する女中の部屋です。この3畳の部屋は独立しています。その独立性を持たせているのが中廊下です。反対側にも廊下があって女中部屋は小島のようにつくられています。
廊下はプライバシーを保つ設計手法の1つです。特に中廊下は独立性を持たせるには効果を発揮します。江戸時代の庶民の家というと田の字型で障子や襖を開ければオープンというスタイルなわけですが、町家などでは主人の書斎とか隠居部屋も中廊下で仕切るやり方がみられます。だから、明治時代になってから中廊下が現れたということではないようですが、でも、都会の庶民層にまでプライバシーという概念が明治になって生まれていきていることがうかがえます。そして、大正時代になると、プライバシーの意識の広がりとともに中廊下も多く見られるようになります。
漱石の家の女中部屋が独立しているのは、女中のプライバシーを尊重しているからというのではなく、自分たちのプライバシーのためと考えたほうがいいでしょう。家族と他人を分けていくという発想でしょう。
現在の家は廊下がないという家も多いですね。狭い空間を有効に使うには廊下はないほうがいいからです。家族のコミュニケーションを図るにはオープンな空間で、という発想もあります。だから廊下はどんどん少なくなっています。
でも、流行と反対に廊下を見直してはどうだろうか。中廊下を取り入れて、独立性がある空間をつくってみるとか。流行ばかりを追わないで、昔の知恵を振り返ってみると、いいヒントが生まれるかもしれません。

[おかだ・けんじ] 住宅ジャーナリスト・NPO法人埼玉住まいの情報ネットワーク代表。
辛口『野次馬住宅時評』を発行。著書に『住宅のお値段・原価の秘密』『住宅業者の良し悪しがピタリわかる本』『住まいたちの半世紀』など。近著『昭和の住まい学』。
野次馬住宅net http://www.tcat.ne.jp/~yajiuma