前回、暖簾のことを書きましたが、今度は敷居のことに触れてみよう。
敷居というのは「部屋の境の戸・障子・襖の下にあって、それをあけたてするための溝のついた横木。」(広辞苑から)のこと。
広辞苑では「溝のついた横木」と書くわけですが、その横木はある意味をもっています。今度は彰国社の「建築大辞典」で調べてみましょう。そこには「門の内外を限り、また部屋の区画を設けるために敷く横木」とあります。同じようだが、ちょっと違っています。「建築大辞典」は敷居=境界線という意味をもたせて解説しています。
ここが大事なのです。内と外、その仕切りの線が敷居なのです。「敷居学 ベンヤミンの神話のパサージュ」(ヴィンフリート・メニングハウス著、現代思潮社発行)という本がありますが、この本は溝のついた横木でとかいう話は出てこないで、こころの境界として“敷居”という言葉を採用しているのです。
結界(けっかい)というのがあります。神社やお寺の内陣(ないじん)と外陣(げじん)を分かつための格子状の柵のことです。これも敷居と同じように、境界線です。神社仏閣では結界で神や仏との区切りの線、家では敷居で親との区切りの線なのです。そして、その境界線に近づくことは緊張感ある関係があったのでした。それはプライバシーの心でもあるのです。
暖簾も境界線の役割をしていました。そう、敷居も結界も暖簾もみな共通なのです。
暖簾や敷居というのは「けじめの道具」というのは多田道太郎氏。「身辺の日本文化」(講談社学術文庫)の中でこう書いています。
『使っている人たちの身になると、無意識のうちに、どことなくここからは別の領域ですよ、というけじめをつけたい気分が働いているのです。』
『日本ではそうした気分、けじめをつけたいという気分が文化として定着している。一種の文法、美学になっている。紙一枚とか、格子一枚とか、要するに結界をつけて気持ちのけじめをあらわす、こういう伝統文化を私たちはもっているようです。』
そのけじめですが、ちょっとあいまいなのが日本の特徴。境界線といっても、西洋のように壁を作って、区切るのではなくて、すーと抜けることもできる境界線なのです。そこが、日本の良いところ、どこからどこまでが内なのか外なのか、分からない曖昧さが魅力なのです。
多田道太郎も『このけじめというのは、そこで完全にものが遮断してしまうというのではなくて、これがあるために、かえってある種のつながりが出てくる。そういう作用を果たしている。つまり、壁ではっきり区切ってしまって絶対音も何も行かないという感じではなくて、そこにはいちおうのけじめはあるけれども、けじめがあるために廊下と台所とのつながりができるという構造になっている。』といいます。
「けじめ」と「つながり」というところは大事で、いま日本社会は「けじめ」と「つながり」がなくなっています。人の関係も同じです。さらにそれは家にも波及しているようで、「けじめ」と「つながり」がなくなってきています。ドアは障子や襖など引き戸と違い、「けじめ」はあるが、「つががり」はありません。バリアフリーは「けじめ」を消していきます。
LDKというのもどこからどこ線引きなのか「けじめ」がみえません。
便利だからこの動線でとか、流行だからというのではなくて、いま一度「けじめ」と「つながり」を考えて空間を見直し、リフォームしてもいいのではないでしょうか。

[おかだ・けんじ] 住宅ジャーナリスト・NPO法人埼玉住まいの情報ネットワーク代表。
辛口『野次馬住宅時評』を発行。著書に『住宅のお値段・原価の秘密』『住宅業者の良し悪しがピタリわかる本』『住まいたちの半世紀』など。近著『昭和の住まい学』。
野次馬住宅net http://www.tcat.ne.jp/~yajiuma