『卓袱台(ちゃぶだい)でご飯を食べると、家族を近くに感じる。』と言ったのは、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家「七人の孫」といったTVドラマを演出した亡き久世光彦氏。「家の匂い町の音」(主婦の友社発行)の中のあとがきで書いている。
どうして家族が近く感じるかを知るために、いま少し引用させてもらおう。
『お互いの呼吸音がすぐそこに聴こえるし、ちょっと手足を伸ばすと、向かいや隣の家族の体に触れることもある。畳を伝わって体温も感じるし、みんなでおなじ物を食べている実感もある。いまと違って、茶の間が狭かったのもよかったのだろう。』
卓袱台は丸い、それに小さい。それが家族のコミュニケーションを促進させる。広くてはダメなのだ。外国映画で、貴族の食卓の光景が登場することがあるが、親と子が大きなテーブルを挟んで黙って食事をしていたりする。これは家族ではないなんて思ったりするものだ。その点、昔の日本には家族があった。それもこれも家が狭かったおかげである。
家族を感じるには距離感が大事なのである。
家族の想いや感情が交流する場所が家である。だから、小さな卓袱台でも家族を近く感じられる。ところが他人だとそうはいかない。昼時にそば屋でもいい、2人でどこか食事にいったとしよう。昼時だから混んでいる。隣とくっつく感じだ。そんなとき、テーブルがいま少し離れていたらなーと思うことがある。観葉植物でも衝立でもいい、ちょっと仕切ってあれば隣を気にせずに食事ができるのにと思うのである。
落ちついていい店だなーと感じるのは、たいてい席が離れていて他人の目線や会話が気にならないところだ。
いま家は、家族を近くに感じる場から遠くなっている。個室というものそうだし、リビングも家族の目線はテレビに向かっており、家族が目と目を合わせる空間ではなくなっている。
カウンター型キッチンも同じである。対面方式で親子のコミュニケーションが図れるともてはやされているが、カウンターで食事するということ自体、食事の内容が貧しく、家族揃って食事を奪ってしまっているという意見もある。(「見直しの住まいづくり」吉田桂二著)
そこで、家族を近くに感じることのできる空間づくりを提唱したいもの。卓袱台を復活させようといってもピンとこない人も多いだろうから、家族揃って食事ができる大きなテーブルをドンと置く。大きくといってもほどほどの大きさがいい。そして、ここは丸いほうがいい。
リビングはなくてもいい。リビングダイニングでいい。ここに家族が集まる。だからテレビもなくてもかまわない。2階に個室があっても、1階で家族の声が聞こえると、下りていきたくなる、そんな空間がいい。
温故知新で、ちょっとあいまいでいい加減なところもある日本の伝統である融通性などの工夫を見直していくと、家族も近くなるかもしれない。

[おかだ・けんじ] 住宅ジャーナリスト・NPO法人埼玉住まいの情報ネットワーク代表。
辛口『野次馬住宅時評』を発行。著書に『住宅のお値段・原価の秘密』『住宅業者の良し悪しがピタリわかる本』『住まいたちの半世紀』など。近著『昭和の住まい学』。
野次馬住宅net http://www.tcat.ne.jp/~yajiuma