有名人のことばに学ぶ住まい学 [その3]

「トイレの広さ」と吉村昭と「安心感」

●吉村昭氏が泊まった由緒ある旅館のトイレ

唱和30年代に建てられた家『十年ほど前、地方の都市に行って由緒ある旅館に泊り、便所に入って驚いた。
 内部は六畳ほどの広さで、しかも畳が敷いてあり、その中央に便器が据えられている。前方の壁には小さな床の間があって、花が活けられ、俳句のかかれた細い軸がかかっている。
 これは、落着かなかった。立派な座敷の中で、無躾にも用を足しているような感じがし、しゃがみはしたものの前後左右を見まわすだけで、目的も忘れがちだった。』(吉村昭「便所の広さ」/街のはなし」所収、文春文庫)

故吉村昭氏(小説家。「ふぉん・しぃほるとの娘」で吉川英治文学賞。他に「戦艦武蔵」「破獄」などの作品がある。1927〜2006)のトイレ(便所)の話である。

●武田信玄の便所も6畳・畳敷き・エコ水洗トイレ

広い便所というと、戦国の武将、武田信玄の便所も広かった。

『御閑所を京間六帖敷になされ、たたみを敷、……』(甲陽軍鑑)。

御閑所というのは便所のこと。六畳で畳敷きというのは、吉村氏が泊まった旅館と同じであるが、信玄の便所は、風呂から樋をかけて、残り湯で不浄を流すということで節水型水洗トイレだったというから進んでいる。

●手をのばせば壁に触れるくらいの“狭さ”がいい

問題はトイレの広さである。吉村氏は広くて落ちつかず、『目的も忘れがちだった』いうのだから、用を足したのだろうか。そして、こう書く。

『便所の広さは、家庭、デパート、列車など一定の広さで統一されている。ホテルではバスルームに便器が置かれたりしているが、それも、手をのばせば壁に十分手がふれることに変りはない。そこに一種の安心感が生じる。』

両側に手がふれるくらいの“狭さ”がいいというのである。

トイレは孤独な空間である。しかもそこでは無防備。そうであるから信玄は、広い空間にして敵からの攻撃を防ごうとした。しかし、私たちにはそんな必要はない。逆に広すぎると不安になってくる。

どうですか、あなたのトイレの広さ。広すぎではありませんか。反対に狭くはありませんか。リフォームで広くしようと思う方、くれぐれも広すぎないように――。


(参考):「物語 ものの建築史 便所のはなし」山田幸一監修 谷直樹・遠州敦子著 鹿島出版 

岡田 憲治プロフィール

[おかだ・けんじ] 住宅ジャーナリスト・NPO法人埼玉住まいの情報ネットワーク代表。
辛口『野次馬住宅時評』を発行。著書に『住宅のお値段・原価の秘密』『住宅業者の良し悪しがピタリわかる本』『住まいたちの半世紀』など。近著『昭和の住まい学』。
野次馬住宅net http://www.tcat.ne.jp/~yajiuma

 

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