『本来「家」とは「在る」ものではなくて、「成る」ものです。』(「両手いっぱいの言葉 413のアフォルズム」、新潮文庫)というのは演劇「天井桟敷」を主宰していた寺山修司氏(詩人、歌人、演出家など。青森県弘前市生まれ。「書を捨てよ、町へ出よう」など。作詞家として「時には母のない子のように」など1935〜1983)。
「在る」と「成る」、どう違うのかなーと悩んでしまいますが、次の寺山氏の言葉は「成る」を指しているようです。
『わたしは、人間の「家」というものは、つねに核分裂する宿命をもったものだ、と考えています。自分の家というのはつねに一代のものであり、それは西部の草原に愛する妻と二人で小舎を立ててはじめてゆくような、「創生」の歓び」に充ちたものだとおもっています。』
家は西部劇のように自分で未来を開拓する気持ちが大切だと言っています。家は自分で切り拓く、それが寺山氏のいう「成る」ということのようです。
『西部の草原に愛する妻と二人で小舎を立てて』というイメージで思い出したのは、「大草原の小さな家」(ローラ・インガルス・ワイルダー作、恩地三保子訳 福音館)。
西部開拓時代のアメリカを舞台に大森林や大草原を切り開きながら成長していく家族(インガルス一家)と少女ローラの物語。1975年から1982年までNHKで連続ドラマとして放映されたこともあります。
ローラたち一家が丸太を組み上げ家を建てる場面があります。少し引用させていただきましょう。
『「ほら、ここだよ、キャロライン! ここにわれわれの家を建てるんだ」とうさんはいいました。ローラとメアリイは、馬のえさ箱をのりこえて、いそいで地面にとびおりました。まわりには、空のはてまでひろがるたいらな大草原があるきりでした。』
ローラのおとうさんは毎日毎日、丸太運び、山のようになったところで家づくりにはいります。丸太を刻み、組み合わせて壁を作ります。
『とうさんは、ひとりきりで、丸太三本分の高さまで家を仕上げました。それからは、かあさんが手つだいます。とうさんが、丸太の片はしをもちあげて壁にのせると、かあさんがそれをささえている間に、とうさんが片ほうのはしをかつぎあげるのです。』
おかあさんが丸太をかかえていたとき、丸太が地響きをたてて落ちていき、倒れこみました。幸い足をくじいただけで済みましたが、そんなこともありました。そして家の完成です。
『そのまま、ふたりは家を見上げ、とうさんはいいました。「けっこう住みごこちのいい家になりそうだ……」感謝しますよ、ここに移れて」かあさんはいいました。』
まだ、扉も窓もない家、屋根も麻布が張ってあるだけの家。それでもローラたち一家は幸せであった。馬車で移動しない生活が始まるのです。
寺山修司氏なら、「創生」の歓びに充ちたものという表現になるのでしょうが、家づくりやリフォームで大事なのは、この「創生」の歓びがあるかどうかにかかっているようです。

[おかだ・けんじ] 住宅ジャーナリスト・NPO法人埼玉住まいの情報ネットワーク代表。
辛口『野次馬住宅時評』を発行。著書に『住宅のお値段・原価の秘密』『住宅業者の良し悪しがピタリわかる本』『住まいたちの半世紀』など。近著『昭和の住まい学』。
野次馬住宅net http:// www.tcat.ne.jp./~yajiuma