有名人のことばに学ぶ住まい学 [その31]

幸田文さんと「台所」と「人生」と

イメージ画像●「台所は火水刃物のある仕事場で、寛ぐ部屋とはちがう」

キリリとした名編を書いた幸田文さん(作家・幸田露伴氏の次女。随筆家。長編小説「流れる」で日本芸術院賞と新潮社文学賞。作品に「父」「おとうと」など。1904〜1990)の随筆台所に関するところを拾ってみました。

はじめに「台所育ち」という一編からです。そこには台所を若い娘さんに任せたところ台所道具を買ってきて補充したという話がでてきます。

『するとぽつぽつ台所が変わってきました。まっかな鍋黄いろい花のついた壷、ブルーの洗桶、ピンクの水切りかご等々、カラフルになりました。あまりに情緒のない台所だから、楽しく働くために、そうしたというのです。』

楽しいキッチン(台所)、当然よね、と若い人たちは思うでしょう。幸田さんはどう感じたのでしょうか。『つまり無情緒仕事場、実質お惣菜から、カラフル台所、絢爛料理への移行です。時代です。』と時代の流れを意識するものの、ピシッとこう書いています。

『台所は火水刃物のある仕事場で、寛ぐ部屋とはちがう、楽しさは料理する手元から立ちのぼるもの、それでいいと私は思っています。』

台所は仕事場なんですね。ですから、広くてきれいで楽しくとキッチンをリフォームするのもいいのですが、その前に幸田さんの文章を噛み締めてみてはどうでしょう。リフォームの仕方も変わってくるかもしれません。

●「(台所は)女の心の業をこなす場でもあった」

幸田さんは台所について、こうも書いています。

『台所と言う場所は、公開のような、また自分だけの密室のような、ふしぎなところである。』(「台所」)

たしかにキッチン(台所)というところは、あるときは家族みんなで、またあるときは友人たちとコミュニケーションもする場であるとともに、一人で火水刃物と闘う場でもあります。一人のときはいろいろ考えることもあるでしょう。幸田さんはこう書きます。

『私はあそこで、我慢のあとの安らぎを、悲しみのあとのやさしさを、憎悪のあとの責め、嫉妬のあとのむなしさを教えられたのはないか。あそこは大根や魚を料るところでもあったが、女の心の業をこなす場でもあった。教室だったと思う。』(「台所」)

台所は人生を学ぶ教室、修行の場のようです。

●「人のくらしには、寝るにも起きるにも音がある」

台所の音からも幸田さんは人生を学んでいました。

『京都のおんなのひとはやさしいといわれているが、どういうところを優しいとおもうか、と娘のころすこし改まった調子で父親にただされたことがあった。

ものいいがやさしく、立居ものごしがやさし、などとそんな表側のことだけに感服していては駄目で、台所へ気をつけてみるんだ、といわれた。鍋釜や瀬戸ものへの当りのおだやかさ、動きまわる気配のおとなしさ、こういうところにしみだしてうる優しさを考えると、これは決して付焼刃や、一代こっきりその人だけという、底の浅いやさしさではないと思う。女代々伝えてきた、厚味のある優しさがうかがえるものだ、と教えられた。教えられたというが、ほんとは私の台所ぶりがいかに荒々しく下司っぽいか、という指摘であり、叱られたとおなじことなのである。』(「台所の音」)

台所の音を題材にした小説もあります。「台所のおと」から引用します。

『佐吉は寝勝手をかえて、仰向きを横むきにしたが、首だけを少しよじって、下側になるほうの耳を枕からよけるようにした。台所のもの音をきいていたいのだった。』

台所から聞こえてくるトントンという包丁の音、それは病床で寝ている夫にとってこころが休まるひと時でもあるようです。

『週刊誌もくたびれるし、ラジオも自分の好みのものをいつも必ず放送しているわけでもないし、なによりもいちばん病む心憂さの晴れるのは、台所の音をきくことだった。』

風邪をひいて休んだ子どもたちも同じように、キッチン(台所)から聞こえてくる音で安心して休めることでしょう。
『人のくらしには、寝るにも起きるにも音がある。生きている証拠のようなものだ。』(「台所の音」)

そう、家族の音が聞こえるくらいの家のほうがたのしい暮らしになるのかもしれません。

「台所育ち」/講談社文庫「季節のかたみ」所収
「台所」/講談社文庫「月の塵」所収
「台所の音」/講談社文庫「月の塵」所収
「台所のおと」/講談社文庫「台所のおと」所収

岡田 憲治プロフィール

[おかだ・けんじ] 住宅ジャーナリスト・NPO法人埼玉住まいの情報ネットワーク代表。
辛口『野次馬住宅時評』を発行。著書に『住宅のお値段・原価の秘密』『住宅業者の良し悪しがピタリわかる本』『住まいたちの半世紀』など。近著『昭和の住まい学』。
野次馬住宅net http:// www.tcat.ne.jp/~yajiuma

 

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