●漱石が「我輩は猫である」を書いた千駄木の家駒込千駄木町57番地――そこが夏目漱石の住んでいた住所、漱石が「我輩は猫である」を書いた家として知られています。住んでいたのは明治36年3月から39年12月まで。漱石が住む前は森鴎外が借りていました。
どんな家だったのかを漱石夫人の夏目鏡子さん(1877〜1963)が「漱石の思い出」(夏目鏡子述、松岡譲筆録、文春文庫)に書いています。
『まず千駄木の道に面して門があって、門を入ってじきに玄関、玄関の間(ま)が二畳か三畳敷き。玄関は東に面しております。玄関の間を出ると南をうけた縁側があって、取っ突きが長細い六畳ぐらいの広さの部屋。そこは物置き同然に本をつめておきました。お隣が八畳の座敷。ここで夏目が朝よく猫を背中にのせたまま寝そべって新聞をよんでいました。次が六畳で私の居間。ここに私たちは寝(やす)みます。この三つの部屋が南向きで、その背中合わせに、私の居間の後ろが六畳の子供部屋、座敷の後ろが茶の間で六畳、その隣が三畳の女中部屋で、それに隣り合って台所と湯殿があります。』
漱石が猫を書いた書斎はどこでしょう。
『夏目の書斎は玄関わきの六畳で、間は襖(ふすま)になっているのですけれども、そこへ大きな本棚をおいて、わざわざいったん廊下にでて、そこから三尺の戸を開いて入るようになっております。その書斎の東側の窓が、夏目があたまの悪い時、毎朝毎朝、道を隔てて向かい側にある下宿屋の書生に、オイ、探偵君と呼びかけた記念の窓です。南に小さい窓があり、あとは開いて縁側になっています。大きな机を南に向けてすえておりました。円窓(まるまど)の前の空地には古井戸が捨ててあります。』
六畳の書斎はちょっと突き出していて離れ風、濡れ縁があってそこから出入りもできます。書斎には猫の出入口もあって、ペット共存の工夫をしているのが面白いところです。
この突き出た書斎、あとの時代になると応接間の形式になるものです。こうした空間を増築して静かな離れにというのもいいものです。プライバシーの芽も生まれて、こうした空間取りのほかにも女中部屋の前に短いけれど中廊下があります。中廊下で独立性を保っています。
39坪(129.5平方メートル)の家ですが縁側がいいですね。ポカリとお日様に当って日向ぼっこ。こうした昔の住宅の空間の工夫などを勉強するのも楽しいこと。リフォームの参考にもなります。漱石の千駄木の家は明治村(愛知県犬山市)に移されていますので、一度訪ねてみてください。

[おかだ・けんじ] 住宅ジャーナリスト・NPO法人埼玉住まいの情報ネットワーク代表。
辛口『野次馬住宅時評』を発行。著書に『住宅のお値段・原価の秘密』『住宅業者の良し悪しがピタリわかる本』『住まいたちの半世紀』など。近著『昭和の住まい学』。
野次馬住宅net http:// www.tcat.ne.jp/~yajiuma