|
節句というのは、なぜか心がウキウキとする。たまたま仕事で訪問したお宅でお雛様が飾ってあると、周りがパアッとピンク色の花が咲いたように、華やかな空気に包まれる。
おばちゃんの生まれた家では、最初の子供が男の子で、そのあとも男の子ばかり続いたせいか、立派な五月人形は飾っていたが、雛人形はとうとう買って貰えず仕舞いだった。それでもありったけのミルク飲み人形を引っ張り出しては、ひとりで雛壇飾りを楽しんだ。
テレビを見ていたら、アナウンサーのおねえさんが、「お宅でもお雛様は飾ったの」と尋ねられ、「はい、ウチでは折り紙でお雛様を折って、テレビの上に飾りました」と答えていた。それを聞いて思わず、「そう、そう、折り紙だろうが何だろうが、せめて桃の花の一本も添え、ちらし寿司でも作って、お節句を祝いましょうという気持ちが大切なのよネ。アンタはエライ」と、おばちゃんの中で、にわかにこのアナウンサーのおねえさんの好感度がぐ〜んと上がった。
ひとり暮らしのお年寄りたちの食事会にお手伝いに行くと、「雛祭りも五月の節句も、子供達が巣立って以来、と〜んとご縁がなくなっちゃってねぇ」という方が多い。
「せっかくお雛様があるのに、もったいない。それなら、使わなくなったお雛様を、子供達で町内の集会所に飾ったらどうかなぁ。雛祭りは、女の子がひとりの女性としてお客様をもてなし、お世話をする、行ってみれば大切な教育の場であったとも言うじゃない。とっても良い機会だと思うけどな」
「集会所もいいけど、どうせなら、お雛様と一緒に、使っていないお座敷も貸してもらったらどう。ついでにお掃除も子供達にやらせて、立ち居振る舞いのお稽古にもなるし、お雛様も喜ぶし、一石三鳥。私たちもお茶とお菓子にありつけるかもよ」
と、おばちゃんたちの茶飲み談義になると、どうしても話がそちらに向いてしまう。
少し前のことだか、クリスマスの頃、近所のアパートを通りかかると、たまたま玄関のドアが開いていた。覗くともなしに玄関の中に目をやると、50〜60センチくらいのクリスマスツリーが飾ってあった。
「あれっ、このおウチは確かお年寄り夫婦だけで、子供はいなかったよね」とお父ちゃんに尋ねると、「お孫さんでも遊びに来るんじゃないの」と言う。
それにしても、おじいちゃん、おばあちゃんになっても、二人でアパートの一室にクリスマスツリーを飾って楽しもうというご夫婦は、いったいどんな人たちだろうと、あれこれ想像を巡らせた。
「子供達が小さかった頃のことを思い出しながら、今頃はきっと、お雛様を飾って二人で楽しんでいるんだろうなぁ」
雛祭りも、端午の節句も、クリスマスも、その家の記憶として、大人にも子供にも代々刻まれていく。
そんなことを考えていたら、何だか心が暖かくなった。
「どうでもいいけどサ、ウチの雛祭りはどうなったんだよ」
「あっ、ゴメン! 原稿書きに追われてそれどころじゃなかった。一日遅れだけど、明日、ちらし寿司を作ってお祝いしようね」
|