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別れと出会いの春。ン十年ぶりに中学校の卒業式に参列した。前にも話したが、こう見えてもおばちゃんは新人民生委員なのだ。今回は、担当地域の中学校からの招待である。
父兄席を眺めると、お父さん、お母さん方に混じって、お婆ちゃんの顔もちらほらと見える。家族で15歳の門出をお祝いしましょう、という気持ちが伝わって、久しぶりにほのぼのとした気分になった。
いよいよ、卒業生の入場。オープニングは全校生徒による大合唱で始まった。曲はなんと、ハイドンの『ハレルヤ』。そう、「ハーレルヤ、ハーレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ」で始まるあの曲である。これにはびっくりしたなー、もう。
式の途中にもいくつか合唱が流れたが、新しい曲ばかりで、「今はこんな歌が若い人たちには受けているのか。合唱コンクールみたいだな・・・」とぼんやりと考えていると、隣に座っていたお母さんが話しかけてきた。
「やっぱり、『仰げば尊し』は、なかったですね」
「先生方の中に、教師が生徒に『我が師の恩』と無理矢理歌わせるのはいかがなものか、という意見があるそうですよ」
「歌詞が文語体で、意味が良く分からないんじゃないの」
「でも、君が代は歌いましたよ」
「希望とか勇気とか、友情もいいけど、周りへの感謝の言葉がないのはどうしてですかね」
「シーッ」
思わず首をすくめて周りを見回すと、白いハンカチを目頭に当てているお母さん方の姿が目に入った。式の中身よりも、子供が中学校での3年間を無事に終え、卒業を迎えたということだけで胸がいっぱいなのだろう。親とはありがたいものである。
そう言えばおばちゃんも、『仰げば尊し』は歌ったけれど、その時は歌詞の意味などそっちのけだったし、周りのことがそれほど見えていたわけでもない。おばちゃんと呼ばれるこの歳になって、ようやく立ち止まって後ろを振り返る事ができるのかもしれない、と思ったら、次から次と昔のことが思い出されてきた。
実家の両親は、末っ子のおばちゃんが東京で就職をすると、さっさと家を建替えた。
その家というのが、予備の部屋はあっても、もちろんおばちゃんの部屋などはない。父は初めて出来た自分の部屋に、吉川英治や司馬遼太郎の全集などをごっそり持ち込んで悦に入っているし、母は母で、自分の部屋に友達を呼んで、茶飲み話に花を咲かせていた。たまに実家に帰ると、仏間に寝かされた。まったくもって、
「ここにはもう、あんたの居場所はないのだから、せいぜい東京でおきばりやっしゃ」
と言われているようで、その時は「なんという親だ」と思ったものである。
後から聞くと、おばちゃんの田舎には「神様」と呼ばれる人が何人かいて、困ったことや相談事があると、この神様のところに行くのが昔からの習わしだった。そこで母は、「この子は東京の人になる」と言われたらしい。このお告げか当たっていたかどうかは、もっと後にならなければ分からないが、結果として両親は、家の建替えを機に子離れをした。
総務省(平成15年)の調べによると、高齢者夫婦やひとり暮らしのお年寄り世帯の一戸建ての部屋数を調べたところ、平均で4〜6部屋あったそうだ。
今になって思えば、自分の部屋はなくなっても、そこに家があり、両親と家族の思い出が残っている限り、いつまでも『ふるさと』であることには変わりはない。今この時も、帰る家があることに、感謝、感謝である。
ちなみに、卒業式の引き出物はロールケーキであった。おばちゃんの頃は紅白のお餅か饅頭と相場が決まっていたものだが、これも時代の流れだろうか。
散る桜 昭和は 遠くなりにけり
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