(1)私の両親は、東京、甲府と2度の戦災に遭い、戦後1年ぐらいして茅ヶ崎に焼け残った中古の家を買って移り住んだそうです。そしてそこで私は生まれました。
・その木造の中古の家は田の字型が変形しただけの家で、前回書いた団塊の世代の子供達の家と同じく、時と場合に応じて、フレキシブルに変わる家でした。
・ただ教育ママだった母親の方針で、子供部屋の勉強机だけは定住の場所でした。しかし両親が社交好きで、昼、夜かまわず来客があり、中には泊まっていく人も多く、そのたびに兄妹3人子供部屋に布団を重ねて寝ることもしばしばで、窮屈な思いを余儀なくされていました。こんなプライバシーの守られない家は嫌だとは思ってはいましたが、DKのある団地が羨ましいとは思いませんでした。
(2)団地は当時東京でももの珍しかったのですが、そこに独身の叔父が住んでいて、叔父が結婚するまでの夏休みや春休みを、小学生の従兄妹達4人で過ごしていました。
・2DKの団地は、独身者や子供達4人で気楽に暮らすには最高の場所でした。しかし、祖母や親達が来ると空気が薄くなるようで窮屈だと思ったのです。これならば、襖を開け放てば広々とする我が家のほうがずっといいと思っていたのです。
(3)欧米の居間・食堂中心のホール型の家もあまりいいとは思いませんでした。それは、叔母がアメリカ人と結婚していて、小学生のころ東京に2年程滞在していたことがあり、その叔母の家に遊びに行き、その暮らし方に子供心に違和感を覚えたからなのです。
・白くペンキで塗られた外壁にも少し違和感を持ったのですが、最も違和感があったのは玄関と居間でした。勝手口の扉が少しきれいになった程度のドアを開けると、すぐそこに大きなソファーの置かれた広い居間があり、土足のままその居間に入りソファーに座るという生活スタイルにとても抵抗感を持ったのです。
・子供心にも、玄関は他人の家に入るという緊張感があり、そこで迎えられ、靴を脱ぎ奥座敷に通される。その過程は序々に心の緊張感を解いていく過程でもあり、そのけじめのある生活スタイルが私には好ましかったようです。
・それとゆったりとしたソファーで距離を空けて会話をする。これも私には馴染めませんでした。会話をしている間中お客様としてかしこまっていなくてはいけないように思えて心がうち解けず窮屈でした。親戚なのだからもっと気楽に話したいと思ったのです。
・その緊張感をより高めたのが背の高い白い大きな壁とその周りについている飾り(モール)でした。薄汚れているけれど木の柱・壁・畳に障子や襖の入った我が家のほうがいいと思ったのです。
・中でももっとも嫌だったのが、長い階段をあがったところにある洋バスの浴室でした。浴槽の中で泡を立てて体を洗うのもすべるようで怖かったし、その浴槽の脇の窓からはるか下の庭の芝生が見えるので、自分が宙に浮いているようでなんともいえない不安感を覚えたのです。今思えば裸で宙に浮いた状態が不安だったのでしょう。
(4)私が最も心が落ち着いた住まいは、伊賀の田舎に住む祖父の家でした。祖父は粋人で、我が家と同じ東京・甲府で戦災に遭った後、伊賀の田舎の茅葺の民家を、自分の趣味に合わせ、由緒ある建物の模様替えの折に出た建具などを買い、それを自分の民家に合うように直して住んでいました
・黒くなった柱や梁、あちこちにきづや剥げたところのある泥壁、高い天井、高い床。でもアメリカ人と結婚した叔母のうちで感じた威圧感はなく、なんとも居心地がよかったのです。
・裏の井戸からつるべで水を汲み、それを祖父が作った石の濾過器で濾過し、それを鉄瓶に入れ、座敷にある大きな木彫りの火鉢にかけ、沸いた湯で祖父がお茶を入れてくれる。
火鉢の周りに座ってその美味しいお茶を飲みながら、祖父と家族のことや学校のこと友達のことなどいろいろなことを話す。それは子供心にもとても心が落ち着いたのです。
・広い土間と大きな納屋が半分を占める田の字型の民家で、部屋は4つしかないのですが、 1部屋が広いのと南側に長い廊下があるので、同じ田の字型でも我が家とは違い、時と場合に応じて生活スタイルを変えさせられることはなかったのです。
・来客は大きな火鉢のある座敷に通し、祖父は人払いをせずそこで話をする。話は村の行事や近所に人の近況、また世間話や趣味の骨董や俳句、短歌などの話、子供の私達はそこでその大人の話を聞いている。それらの話は私にはとても面白かったのです。
・祖父が隠居の身であったからこのような暮らし方ができたのかもしれないのですが、私はこういう暮らし方がいいなと子供心に思ったようです。そして高校・大学生になってからは、春休みになると妹や友達を連れて毎年1週間以上この家に滞在していました。
家を設計するにあたり、上記のような私の記憶の中にある家の暮らし方を思い出し、それを居心地が良い・悪いに分け整理し、それに基づき家族の意見も聞き、私の家族にとっての居心地のよい快適な家を、45坪弱という敷地の制約の中に設計したのです。
※居心地が良い ・物理的、精神的に窮屈でないこと。
・個人また対来客の家族のプライバシーが保てること。
・来客は家族みんなでもてなせるようにする。
・木と塗り壁に囲まれ、パブリックスペースは障子・襖で開け放てる家。
・狭くても植栽があり水音の聞こえる庭。
できた家は畳が20畳、障子が天窓・小窓をあわせて20枚、襖が11枚という今では珍しい部類に入る家です。が、30年住んでも、畳の部屋は整然と片付いていますし、プライバシーも守られ、家族は皆かなり気に入って暮らしています。居心地がいいのか、親戚や友達もしばしば遊びに来て、帰る時期を逃し、2・3日滞在する人も居ます。
このように育った環境・精神風土・体質等を考え、自分にとっての日常的快適性を、情熱と忍耐を持って追求すれば、プライバシーを保ちつつ、木・塗り壁・畳・障子・襖といった天然素材に囲まれた、日本人にとっての暖かく心地よい家は作れると思うのです。