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プライバシーとリフォーム 
その7
子どもとプライバシー
昭和30年代、子ども部屋は勉強部屋だった
住宅ジャーナリスト・岡田 憲治

●ミゼットハウスの歌

子どもとプライバシーの関係についてちょっと考えてみましょう。子どもというと、必ず話題になるのが子ども部屋こと。その子ども部屋、昭和30年代は勉強部屋と呼ばれていました。

『ご本がならぶ オモチャがならぶ
たのしく勉強 ぼくのへや
今日の宿題 もうできた
きみんち ぼくんち わたしんち
みんな仲よく ミゼットハウス ミゼットハウス』
(吉武ユキコ作詞 いずみたく作曲)

これは昭和34年(1959年)10月に発売した大和ハウス工業の勉強部屋「ミゼットハウス」の歌です。ミゼットハウスはプレハブ住宅のルーツとなるものですが、軽量鉄骨で2.25坪(7.4平方メートル)と3坪(9.9平方メートル)のタイプがありました。
価格は10万8000円からとあります。当時、木造の中級住宅の価格が坪4万円ということで、それに合わせた値段だといいます。その年の公務員の初任給が1万200円(週刊朝日編「値段の明治・大正・昭和風俗史、朝日文庫から)といいますから、給料の約1年分です。
ということは、ちょっとした中流家庭の庭のある家でミゼットハウスは買われたのでしょう。

●教育ママが勉強部屋を欲しがった!

大和ハウス工業20年史にはミゼットハウスの開発にまつわる話を簡潔にまとめていますので紹介してみましょう。

「終戦と同時に、何百万という兵隊が復員してきた。ベビーブームが到来するのは自然の現象である。20年には168万8197人であった出生数が、22年には267万8792人、23年には268万1624人になった。ピークは24年の269万6638人である。・・・(略)

案の定、この子らが学校へ行くようになって、急に教室が足らなくなった。大都会のドーナツ化現象がそれに拍車をかけた。同様なことが家庭でもおこった。家族の核分裂で住宅は小さくなっている。こどもができても、部屋をあたえるほど余裕はない。せまい家では、落ち着いて勉強もできない。テレビの普及は勉強環境をさらに悪くした。教育ママは気が気でない。

小さくてもよい、どこか静かに子供が勉強できるところがほしい。そういう願いをもつ家庭が多かった。」

この社史では“勉強部屋”という言葉はでてきますが、“子ども部屋”という表現はでてきません。ここは大事なところで、現在も続く“子ども部屋”論争の始まりは“勉強部屋”であったことを知っておくことです。

その勉強部屋は教育熱心な親が与えたものでした。ここも考えておくべきところです。子どもに個室を与えるというと、映画評論家の佐藤忠男氏はこう書いています。

「日本の場合、子どもに個室を与えるべきだという説が支持されたのは、ひとつにはそうやって子どもの機嫌をとらないと勉強しろ勉強しろと言っても逆にそういうおやたちを子どもがうるさがるだけという傾向が生じたからであり、じっさい受験勉強中の子どもの脇で親がテレビを見ているというわけにもゆかなくなったからである。」(「人間成長期」ミサワホーム総合研究所発行から)


いわば親のプライバシーが優先して、子どもに個室を与えてしまったというわけです。

その始まりは、このミゼットハウス、子ども=部屋確保、ということが既成のものとなってしまい、子どもに部屋などいらないという論も、1つの考えかたということになってしまったようです。

子どもとプライバシーとのこと、もっとのびやかに考えていきたいものです。


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住宅ジャーナリスト 岡田憲治 岡田憲治
プロフィール
住宅ジャーナリスト・NPO法人埼玉住まいの情報ネットワーク代表。辛口『野次馬住宅時評』を発行。著書に『住宅のお値段・原価の秘密』『住宅業者の良し悪しがピタリわかる本』『住まいたちの半世紀』など。近著『昭和の住まい学』。

http:// www.tcat.ne.jp./~yajiuma/
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